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グローバル通信No. 02 ドレスデンの文化的景観とその価値

上田 裕文(札幌市立大学デザイン学部)

2010年2月17日(水)から20日(土)に、ドイツのコトブスにあるブランデンブルク工科大学で日独世界遺産コロキウムWorld Heritage for Tomorrow: What, How and For Whom? が開催された。日本学術振興会ボン事務所と、筑波大学とブランデンブルク工科大学それぞれの世界遺産専攻の共催で、ドイツを中心とするヨーロッパの参加者と日本からの参加者、計40名程で世界遺産に関する議論が行われた。ICOMOS(国際記念物遺跡会議)のAraoz会長をはじめ、参加者は各国の世界遺産や文化財関係者が中心であったが、筆者は景観分野からの発表者の一人として参加の機会をいただいた。初日のレセプションと2日間にわたる研究発表およびそれに関連する議論がコロキウムの中心であった。しかし、本報告では最終日のドレスデン視察ツアーに話題を絞って報告を行う。ドレスデンの世界遺産登録とその抹消の経緯は、世界遺産のあり方だけでなく、ランドスケープデザインにおける文化的景観の価値を考える上で大変示唆にとんだ事例である。

視察ツアーの目的地ドレスデンは、ドイツの東端に位置し、チェコやポーランド国境からも近い人口約50万人の都市である。旧市街地にはゼンパーオーパーやツヴィンガー宮殿、フラウエン教会など、戦後に再建された歴史的建造物が多く、日本人観光客も大勢訪れる人気の観光地である。しかし、今回の視察ツアーの最大の目的は、その世界遺産登録と抹消を巡って論争の的となった、エルベ渓谷の文化的景観とヴァルトシュロス橋の建設現場の視察である。ドレスデンは当初、歴史的建造物群が立ち並ぶ旧市街地を文化的景観として世界遺産に登録する予定であった。しかし、その範囲が狭すぎるということで、エルベ川の流域約18キロメートルにまで範囲を拡大することで「ドレスデンにおけるエルベ渓谷」が2004年に世界遺産登録された。しかしながら、この範囲の拡大が後に裏目に出る。ドレスデンとエルベ渓谷の文化的景観は、当初から市が進めていた架橋計画が原因で2006年に危機リストに登録され、ついには2009年に世界遺産登録リストから抹消されたのである。

ここで興味深いのは、その過程で、渋滞緩和のための橋の建設と世界遺産の保全を巡って住民投票が行われ、建設賛成が3分の2を超えるという投票結果が尊重された点である。都市の景観が生活の利便性よりも優先されると思われがちなドイツにおいて、市民は利便性を選び、その意思が尊重されたのだ。橋の建設計画は世界遺産登録以前から決まっていたことであった。そのため、後になってから景観破壊とのクレームがついたことに対する反発もあったのだろう。また、観光客が集中する旧市街地に限って見た場合、ヴァルトシュロス橋はそこから上流に数キロメートル離れており、観光地の風景に影響を与えることはない。この事例はよくケルンの大聖堂とも対比されるが、ケルンでは大聖堂のみが世界文化遺産の対象であり、景観破壊とされた高層建築物は周囲のバッファーゾーンに位置する。それに対してドレスデンでは、世界文化遺産の範囲にエルベ渓谷が含まれているため、世界遺産としての景観が破壊される。つまり景観論争の争点が、ケルンでは世界遺産の「風景」を守ることで、ドレスデンでは世界遺産そのものである「景観」を守ることだったのだ。そして、ドレスデンでは景観の変化がユネスコの基準には合わなくなったのだが、市民は「世界遺産」という称号に決して固執しなかったのである。

今回参加していたICOMOSのAroaz会長は2009年11月に、広島県の鞆の浦の視察にも訪れている。それだけに、今回のドレスデン・エルベ渓谷の視察は、日本での景観問題をも連想させるものであった。もちろん、問題の構造は地域によって異なるが、地域にとって景観の価値とは何かを考えさせられるよい機会であった。

写真1. 視察ツアーに参加したメンバー

写真2. 建設中のヴァルトシュロス橋(旧市街地は画面右端の奥)

写真3. 旧市街地にむけられる観光客の視線

写真4. 旧市街地にむけられる観光客の視線